p9・10 5 妙見寺 <『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>
内々神社のとなりに妙見寺というお寺があります。『尾張内津山妙見宮略縁起』によると、本尊を妙見菩薩とする、いわる神宮寺で、正式名を妙見宮寺と言います。
神宮寺というのは、神仏習合(神仏混淆とも言います)に基づいて神社を運営していた仏教寺院のことを言います。日本古来の宗教てある神道と外来の仏教は本来別物であり、仏教が伝来した当初、物部氏と蘇我氏が対立したのは有名です。しかし、奈良時代になると、神道を祀るにすの天皇が仏教を手厚く保護することとなったため、神道と仏教を融和する必要が出てさました。そこで考え出されたのが、<本地垂迹>という思想で、本当は仏教の仏(本地)ですが、日本で神道の神(垂迹)として現れるということにして、両者を共存させたわけてす。
内々神社と妙見寺の場合、本地が妙見菩薩で、垂迹が建稲種命ということになり、仏教のカが強まるにしたがって、妙見寺の住職が内々神社の社務を兼務してきたということになります。ちなみに、妙見菩薩は他のイント由来の菩薩とちがい、中国の北極星を天帝と見なす思想に由来します。古代の中国では、<妙見>とは優れた視力、善悪や真理をよく見通す者という意味があり、北畔七星のことを指しています。内々神社の境内にも、 北辰尊星王の文字が刻印された灯籠があります。<北辰>とは北極星または北斗七星のことを指しています。
明治時代になると、廃仏毀釈運動がおこり、僧侶も還俗して法衣を売ってしまうということか流行し心細い時があったと妙見等の信徒が書き残しています。
現在!妙見寺のご住職は、隣の甘露家が継承しています。
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